ここ最近思うこと①
つい先日まで10連休でしたね!!
どのように過ごされましたか?
私は仕事時々結婚式時々休みみたいな過ごし方でしたφ(..)
10連休中けっこう移動しましたが、幸い混み混みの新幹線に乗ることもなく快適な移動でした(*^^*)
さて、5月4日(土)に冒頭でも書いた結婚式に参列してきました。
場所は宇都宮まで。
久し振りにプライベートで新幹線乗ったので何だか新鮮でした♬
大宮から乗ったから正味30分位の乗車だったけど、幸い自由席にも座れて何だか遠足気分だったな。
大学時代の友人の式なので、大宮から合流した子も久し振りの再会。
もうお子さんも居て、それぞれ学生時代とは違う環境で日々生きているのだと再認識。
車内で交流しながらあっという間に宇都宮着!!
式場までの移動はタクシーないしバス必須だったので、目的地に行くバスの停留所前でバス待ち。
事前に調べた時刻表通り来たバスに乗ろうとした瞬間‥前のドアだけ開き駅前なのでそれなりの人が降り、てっきり真ん中の扉からこれから乗る人は乗れるもんだと思いきや‥前の扉が閉じて、何のアナウンスもなくバスは無情にも発車。。
「普通」って言葉はあまり好きじゃないけど、目の前に明らかによそ行きの格好した女子が3人居て、地元の人なら行き先もだいたい分かるよね?(笑)
しかもその内1人は子供同伴よ?
アナウンス一言くらいしない??
よく使うバスは名古屋とか東京とかだけど、真ん中乗りの前降りとか一方通行じゃない?宇都宮独自のルールとかいらないですよ、ホントに。。
私達の頭の中は一瞬「???」で溢れてフリーズしたけど、待ったなしの状況だったのですぐに頭を切り替えた。
バス停留所前に明らかにそのバス会社の職員が、蛍光緑のジャケットを着ていて目立つように待機しているので、今の一部始終の状況を説明。
平謝りのみで終わり、残念ながら誠意は一切感じなかった。。
余りにも酷い対応に、これからおめでたい席に向かうのに何だか胸くそ悪い。
あ~現象に思いっきり掴まれたけどもう後の祭りなので、タクシーをつかまえて駅前を出発。
別にタクシー代ケチった(笑)訳ではなく、発車時刻に間に合うのでバスで行く段取りにしただけなのに‥
たまたま乗り込んだタクシーの運転手さんに思わず経緯を説明し嘆く(T_T)
私も仕事柄、地方と呼ばれる場所にも出張で行くけど、閉塞的コミュニティの中で生き続けていると感覚が鈍るのかな?
って印象。
何だか変わった人とかもいらっしゃったり、やたら明らかに年下の私にスゴい横柄な態度を取ってきたり。
まあ、ごく稀にいらっしゃる。
東京に住むとか住む場所やどこに拠点を置くかは自由だけど、揉まれる機会が少ないのかな?
いわゆる殿様商売になりがちなのかな‥?
工夫することをいつしか怠ってしまうのかな‥??
人ってやはり、居心地の良いトコに居続けちゃうと感覚が麻痺るのかな?
例えるとまるで「ゆでガエル」状態。
最初は心地よい温度に浸かってるんだけど、実は段々温度が上がっていて気付くと致死温度に達していて死んじゃうって例え。
悲しい末路‥
やはり常日頃、「問題意識」を持ち続けることって大切なんだな。
私は常に意識している。
それは、自分がゆでガエル状態になりたくないのもあるけど、人生そっちのが楽しくない?
私達を駅前で置いていったバスの運転手さんは、果たして本質的に幸せなのかな?
と余計なことを考えつつ、優しい親切なタクシーの運転手さんと交流出来て救われた。
あっという間に式場着。
続きは次回。
2度目の倉敷訪問③
記事投稿まで間が空いてしまった。。しまった(;´Д`)w
実は二次会は恒例のカラオケ歌合戦!
その後に合流予定で、精算を済ませ館内の待合スペースにて待機。
そしてそして‥
1台の車がガラス越しに止まり、運転席から手を振る女性が‥まさか!!
彼の今までの趣味や言動、行動から勝手な妄想で相手の女性を規定していて、好みの女性像を作り上げたところ、正直ロリ系?w←ごめん、これは勝手なイメージだった笑
これも脳のクセに囚われ、掴まれた結果物である。
だがしかし、目の前には全く違うイメージの女性が運転席に座っておられた!!!
一言で言えば‥「清楚系」かな?落ち着いた優しい雰囲気の小柄な女性がそこには居た。
私の観点から一度出たところから出逢い直し、再びの初めましてをしました。
奥さんは初対面の人がどうやら苦手なようで、しばし緊張(;・∀・)
いや、私もしばし車内で沈黙だったな笑
でもさ、奇跡的なタイミングで出逢えた訳なので、せっかくだからお話しました^^
一発目から核心的な話は出来なかったけど、馴れ初め?的なお話とかとか。
彼のどんな所が好き?♡とか気に入ったのかとか。
まではまだ聞けてないな笑
次回の機会でのリベンジだな。。
気になったけど( ̄ー ̄)ニヤリ
とまあ、あっという間の私の滞在先のホテルまでの夢のような時間でした。
道案内を彼が奥さんにしてくれてて、そのやり取りとかホッコリしちゃってもう♡
とまあ取り敢えず、こんな私でも結婚したくなった٩(๑´0`๑)۶
今までは、あんまり上手く行ってないカップルや夫婦を目の当たりにして、旦那(彼)の居ぬ間にグチや小言を聞く、かたや嫁(彼女)の居ぬ間にグチや小言を聞く‥もううんざり!!
一時的な解決やガス抜きにはなるけど、根本的解決には到底至らず半ば諦め状態。。
って人が多い気がする!
だって、その方法が分からないんだもの。
価値観が違うからしょうがない、心の底からは分かり合えないとかね。
そんなことはないよ!ってことを、少しずつ伝えていけたら良いなって思ってます。
まだまだ私のblogは続くので、またお付き合い頂けたら幸いです。
と2度目の倉敷滞在もあっという間でしたとさ。ではでは。
2度目の倉敷訪問②
前回からの続き。
美味しい串とお酒も進み、時間はあっという間に過ぎる。
それと最近入籍されたってことで、お互いの結婚観についても改めて意見交換。
私って擦れてるのかな‥?
入籍とか結婚とかって、ぶっちゃけ紙切れ1枚で終わり!で契約(契り)を結ぶって印象笑
婚姻届のルーツが気になって過去調べたことがあったのだけど、歴史は意外と深いし“結婚”のルーツも面白い。
今まで関わってきた夫婦、これからも関わって行く夫婦を見てみると‥それぞれの夫婦の形はあるものの、喧嘩が耐えなかったり、既に夫婦関係を解消してしまったりと関係構築の難しさも目の当たりにしてきたの。
それはさ、お互いの観点と観点が出会っているだけで、その仕組みを知れば一気にスッキリ!!なのだ。
私もまだまだ日々トレーニングの日々だけども。
男女間、同僚間、同志間、親子間‥何でも共通の仕組みだす。
あとは、前職が生保だったのだけど、シングルマザーとしてバリバリ稼ぎまくってて子供を養っている上司とか、“結婚”の酸いも甘いも知り尽くしたような大御所達に様々な情報を聞かされ、刷り込まれ‥ぶっちゃけ結婚にあんま良い印象なくて汗
でもね、今回再会した彼は、型にハマっていない生き方を体現してるような人(例えばいわゆるサラリーマン型ではなく、フリーランス系の生き方)で、そんな彼と一緒に今後の人生歩んで行こう!って決断したパートナーさんに興味津々で。
私が悪態をつくと、親(主に母)には「1回は結婚してみろ!!」みたいなことを言われ(笑)、今回の再会を受けて刺激を貰い、パートナー欲しいなって思ってみたり(*^^*)
お互いを無限大の可能性で見られる関係性ってホントに素敵。
そして‥いよいよパートナーさんとの対面の時が近付く。ドキドキ(*´﹃`*)
続きはまた。
2度目の倉敷訪問
4月12日(金)~14日(日)までの岡山県倉敷市への出張を終え、現在名古屋に戻って参りまして思い出の地でblogを書き始めたとさ!!
今回は倉敷は倉敷でも、水島コンビナートがある水島へ。
非常にレアな出張地。
今回も倉敷行きが決定した瞬間、1社目の元同期に連絡し逢うお約束を取り付けた。
異性の同期だけど、何故か腐れ縁でお互い転職して離れ離れに生活してても定期的に逢っていたりと、かれこれ10年目くらいの付き合い。
そして、今回は彼から4月1日にビッグな報告が‥
それは入籍しました!とのこと。
そんな気配まったくなかったじゃないか、おい君よ笑
そして私は昔から、自分の目で何でも確かめたくなる性である。
正直4月1日という発表日の意味合いも手伝ってまだまだ半信半疑の私←失礼笑
なので、無理を言って彼に奥さんも交えて飲もうと提案。
一旦保留の上、約束の日を遂に迎えた。
ひとまず全力で仕事を終え、水島から倉敷市駅へ電車移動。
水島臨海鉄道ってのも当然初めて乗りました笑 1両車両は衝撃的。
倉敷駅着。18:25過ぎ。
即TEL。
どうやら奥さんが仕事から帰宅し、結果奥さんは一緒には飲まず彼を駅まで送迎してくれるとのこと。
東京の感覚なら、家から最寄り駅までは徒歩圏内。
だがしかし、車社会の為、最寄り駅まで徒歩30分はざらだ。
待つこと数十分、ようやく彼が駅前到着!!
奥さんに逢えるかと期待したが、彼を送り届けるミッションを遂行すると即帰宅。
ミッション失敗笑
次のチャンスに備える。(水島駅から1.7km先のホテル滞在の為、夜ホテルまで送り届けてくれるとの有り難いお言葉を頂いていたのでした)
とまあ本題。
彼とはさ、いつからか深い話がスタンダードで、一般会話レベルの質が高い。
美観地区近くのオススメの焼き鳥屋さんのカウンターで、日本の教育の話やら今後のビジョンやら、話が進む進む。
彼は1社目を退職後、農業に携わってきた。
私も地元の小学生の自然教室ボランティアスタッフとして、数年前からちょくちょく教育畑に繋がりが出来て活動の幅を広げていた。
お互い日本の「教育制度の限界」みたいなのを片や農業という側面から、片や小学校のボランティアスタッフとしての側面から感じていた。
歴史的背景も限界と大きく関わっているから、戦後教育はサラリーマン気質の人間を量産させる教育を推し進めてきた。
ガッツリ中から変化を起こすのも良いけど、かなりのエネルギーが必要だよね。
私らは外部から少しずつ変革を起こして行けたら良いなって話になった。
続きは明日^^