もうすぐ大型連休…

ようやく4月も中旬が終わり、もうすぐ
ゴールデンウィークがやってきますね(^^

とは言っても、別に何って予定は無いですが。
ま、予定も無く、ゆっくりと過ごせる方が
私は好きなんですけどね(^^;

4月から新生活を迎えた方々も、そろそろ
日常に慣れた頃でしょうか?
この数週間、周りの人から緊張が伝わって
きて、本人以上にドキドキしてしまって、
私にとって非常に辛い季節でもありました。

お薬は使わなくても良くはなってきましたが、
睡眠リズムに関して言うと、まだ改善させたい
面もあります。

バイトで朝早く出掛けないといけないので、
早寝、早起きにシフト出来ればもうちょっと
体調も楽になりそうではあります。

よく、
 ”5分ずつ早くしていけば・・・”
みたいな事言いますけどね。

あんまり上手く行った試しがありませんw

バイトの日は這う様に必死で起きて出掛け、
休みの日はその分、朝ゆっくりと寝る・・・
と言うのが最近のリズムとして定着しつつ
ありますw

今日もお休みだったので、割かしゆっくりと
布団に潜っていました。
もう、無理です。
休みなんだから、ゆっくりさせてっ!(><;

誰に言ってるんだか分かりませんが。

・・・まぁ、やっぱアレです。
バイトさえ辞められれb(略

これは何も、私に限った話ではない。

私たちは、貧弱なコアを守るために幾重にも処世術を纏っている。それは「対−世界」としての書籍術だけではない。「対−自己」としての処世術も然りである。

私たちは泣き言を言わない。私たちは「言ってもしょうがないこと」を嘆かない。私たちは人のせいにしない。そして自分を貶めもしない。だから私たちは、陽気に振る舞う。

「自分と折り合いをつけて生きていこう」と、したり顔な人たちがいう。私たちはまだ、自分と折り合いをつけられていないのだと。「ポジティブになろう」と、したり顔な人たちがいう。私たちはネガティブなのだと。

とんでもない。

私たちは完璧に折り合いをつけている。

根っからのポジティブである。

もし私たちが今よりほんのわずかでも自分と折り合いをつけられていなければ、きっともうこの世にはいないだろう。もし私たちが今よりほんのわずかでもネガティブだったら、私たちは愛想笑いの一つも浮かべられないだろう。

私たちは、時々思う。

「こんなにも世界は素晴らしく、人々は優しく、運に恵まれ、社会は私を受け入れてくれる」「すべてが良いことずくめだ」「では、私の抱える『この想い』はなんなのか」「『この想い』は何が原因なのか」「『この想い』は誰のせいなのか」

私たちは賢い。

健全な理性を携えている。

「『この想い』の原因を一つずつ検討してみた」「そして世界のあらゆる対象を検証し終えた」「その結果、『最後の一つ』を除いて、なんら私に『この想い』を抱かせる要因はなかった」

しばしば、私たちの悲観は、歪曲した認識のせいだと指摘される。しかしその実、私たちは他の誰よりも慎重に世界を検討するのである。己の頭に悲観的な念が浮かぶと、すぐにそれを取り出して「認知の歪み」が生じていないかを確認する。認知の歪みが認められれば、その念を棄却する。ついには私たちの頭からは、あらゆる悲観的な念が取り除かれる。そしてただ一つ、「いまだ言語化していない『あの想い』」だけが残る。私のうちに生じた悲観的な念から、丹念に不純物を取り除き、およそ言葉にできるものを拭った先に残る。反論し尽くしたはずなのに、矯正し尽くしたはずなのに、いまだに残る核。私たちは健全な理性の果てに絶望を獲得する。